アピチャッポン『MEMORIA』 これは決してSF作品ではない。

アピチャッポン・ウィーラセタクンMEMORIA

衝撃の謎の宇宙船は隠喩だ

 

 アピチャッポン監督の『MEMORIA』で最大の衝撃といえば、ラスト、森の中から謎の宇宙船が現れ、主人公ジェシカを襲っていた爆裂音の正体であったことが明かされたことだとだれもが思うだろう。だが、きっとそんなことはまったく重要でない。爆裂音の正体は宇宙船であったなどという答え合わせを監督が伝えたいわけでは毛頭ない。もちろん、この映画はSF作品ではない。

 最も重要なシーンは、宇宙船が登場する前の終盤、川辺でジェシカがエルナンという男に出会うところからだ。それまではほぼ前座といっていいのかもしれない。

 エルナンは自然とともに生きる。森から離れることを嫌う。記憶を保つために経験することを嫌う。人間と自然とが透明に交流する世界から疎外されないために。石というアクターが昔の記憶をおしえてくれる。記憶の主体が人間であるかはどうでもいいことだ。自然物はすべてを見ている。ただし、石のこえを聞くことができる者(エルナン)は、石とともに生きてきた者のみである。文明人(ジェシカを含めた都市人)はそうした世界から疎外されている。ジェシカは石のこえを聞くことができない。その記憶を読み取ることができない。ジェシカは夢を見る。エルナンは夢を見ない。エルナンには夢もくそもない。寝ることは死であり、ただ止まることである。

 ただし、そうした世界から疎外されているからこそ、ジェシカに爆裂音が太古の記憶として回帰する。ジェシカは確かにそのとき、森のこえをきいている。ジェシカの妹も夢で犬のこえをきく。だが、すぐ忘れてしまう。文明人の典型だ。ジェシカだけはそうした未知の記憶の片鱗を「アンテナ」として受信する。そこに「記憶のハードディスク」ことエルナンが媒介することでジェシカは太古の記憶を読み取ることができるようになるのである。ジェシカは自分を悩ましていた爆裂音を今はもっと聞いていたいという。それはきっと観客が心地よいと感じる川のせせらぎや雨の音のように。そのとき、森林の中から謎の宇宙船が現れ、あの爆裂音とともにどこかへ飛び去って行く。ジェシカがあるべき真理に到達し、疎外から解放されたことの隠喩だ。